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2016年2月16日火曜日

湊家酔平の四国巡礼 その1

〈へんろ道〉

雨がぱらぱらと降り始めた。

雪が混じっている。

もう少しでお寺さんが見える。

軒先を借りて、カッパを着る。

二月、かみさんと四国第一七番札所の井戸寺から第二三番札所薬王寺まで四日をかけて歩いた。菅笠をかぶり、田んぼの間の細い道をゆく。家々の間の道をゆく。山を越え、山を越え、また山を越えてゆく。みかんのお接待を受けてゆく。

時には、足を滑らせてしまうような石や足を引っかけてしまいそうな木の根たちが、山歩きの際、私たちの足をしっかりと受け止めてくれた。足を痛がるかみさんを尻目ラーで首を守り、暑くなればセーターを脱いでゆく。また、寒くなり、暑くなりの繰り返しであった。

四国八十八ヶ寺、全長千三百キロメートルを、一人で一気に廻る人が何人もいた。その中には、背負った荷物が多すぎると教えていただき、宅急便で荷物を少し送り返した女性がいた。三十二歳という男性は、若いだけあって足が速い。

一人歩きの人たちは、みなさん歩いて廻る。彼らは、四〇~五0日位かけて廻る。中には自家用車で回っている人が何組か見られた。ケーブルカーに乗る団体のおへんろさん達もいた。歩く者にとっては荷物が少ない方が良い。私達も荷物を少なめに持ったつもりだったが、もっと削りとらないといけないと思った。へんろ道の途中みやげを買ったが、宿の人や寺を掃除している人に渡して身を軽くさせてもらった。

江戸時代の長屋では、少ない生活用品で暮らしていた。江戸は火事が多かったせいもあり、少ない方が良かった。そこには、隣近所の助け合いがあったと聞く。今、私も含めてこれでもか、これでもかという位に事物を抱えている。物がたくさんあることが幸福であるかのようだ。それでも最近は、物がない生活を実践している人もいると聞く。

家に帰り多くの事物が・・・「また、へんろ道へ戻りたい」